私は小さい頃
あまり物を欲しがらない子だったそうです(母談)
私が何も言わないので
もしやこの子はバカなんじゃないかと
不安になったこともあったそう。笑
今、思うと私は
わりと早くから
社会は不平等であると
どこかで体験的に
分かっていたのかもしれません。
だからこそ
本当に平等に与えられるものを
ずっと探していたのかもしれないと
思います。
もちろん今はいろいろ
服とか靴とかカバンとか
雑貨とか教科書とか
食べ物とかカフェとか
いい就職先とか
欲しい物はたくさん
ありますが
ものすごく欲しいかというと
たぶんそうでもない…
あったらうれしいけど
幸せが保証されてるわけじゃないから。
ただ教会の奉仕は
天国の宝がもらえると聞いて
欲しがってます。
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ドヤ顔。笑
奉仕だけは
嫌でも泣いても
面倒くさくても
楽しくても
どんなことでも
欲しいです。
必ず神さまが幸せにしてくれるから。
神さまの愛と祝福は
神さまを信じて求める人には
どんな人でも
必ず平等に受けられる
最高の宝です。
宝に至る道の途中で
たまに逃げたくなるけど。笑
でも戻ってきます。
そして与えられるまで
しぶとく待ちます。
御心を全うできますように。
そして天国でたくさんの宝を見て
ニヤニヤできますように。
Sei