2015年6月16日火曜日

時にかなって美しい

先週の金曜日

司法試験の一次の結果がきました。

不合格でした。



ちょうど次の日はオーケストラの奉仕で

朝、車の中で祈っているときに

ふとその話が出て、私が

「ダメだったの」

と言った瞬間、Rちゃんが

「感謝します!」

と言ってくれました。

「神さまの素晴らしいわざが現されます!感謝します!」

私がするべき感謝を

Rちゃんが代わりにしてくれているように感じました。

そのときに私の中にも喜びが

わき出てきて、

一緒に感謝することができました。




試験のためには

いろいろな方にとりなして頂いたので

本当に申し訳ないです。

ごめんなさい。




その後も演奏の待機中や

ブルーベリーを摘んでるときに

Rちゃんは何回も感謝してくれました。

「ゆいちゃんが試験を受けるときに

デボーションの聖書のことばが

ぴったりで、神さまは本当に

ゆいちゃんを愛しているんだって思ったよ。

だから神さまはゆいちゃんを愛して

このことを許されたんだよ」

と言われて、

本当に神さまの愛を感じました。




帰りの車でもRちゃんと席がとなりになって

一緒に感謝をしてくれました。



涙が止まらなくて

焦ったのですが

心の中に神さまが触れてくださっているのを感じました。




私には何もないのに

これで落ちていたら

私はどうなってしまうのだろう

間に合うのだろうか

ずっと不安でした。

いざ結果が来ると

現実の出来事じゃないように感じられ

認めた途端、全部壊れてしまうのではないかと

見ること自体を拒否していました。



でもRちゃんを通して

神さまは問題から目を背けることを喜ばれないこと

つらいと思えることに感謝をささげると

その中にある神さまの愛を

知ることができる

と語られて、

本当にその通りだなと思いました。



私は現実から目を背けようとしていたけど

神さまはすぐ次の日というタイミングで

感謝と賛美をささげることを

賛美隊の奉仕とRちゃんを通して教えてくれました。

私はオーケストラとしては何の力もない者でしたが

あの場所に行くことができたのは

本当に恵みだったと思います。





たぶん一人じゃ泣くことすらできず

自分のできなかった部分を

ずっと見続けていたと思います。

でも感謝を捧げたことで、

このことに神さまの計画があること

神さまにあって最善しかない

という所に立つことができました。






こんな私でも

神さまのあわれみは尽きない

そう思いました。

もう一度、踏み出してみようと思います。



『神のなさることは、すべて時にかなって美しい。』
伝道者の書 3:11




Yui