2013年6月1日土曜日

今日のみことば



こんばんは

そのとき私は、『被告が、彼を訴えた者の面前で訴えに対して弁明する機会を与えられないで、そのまま引き渡されるということはローマの慣例ではない』と答えておきました。
使徒25:16

この箇所を読んですごいなと思いました。この原則は今の日本の民事訴訟とほとんど同じです。
でもパウロの場合は民事訴訟ではなくて、刑事訴訟なのかな?
でも律法学者たちがどんなに重い罪を申し立てても、証拠づけることができないという箇所もありますが、今では普通でもこの時代ではすごいと思います。
日本なら大岡越前じゃないですが、お上の言うことは全部正しいみたいな裁判だったので、公平性はたぶんほとんど無視でしたので…
でもパウロはそんな中で、神さまのことを証するために立たされたんだなと思いました。
Yui