2012年11月29日木曜日

伊能忠敬 その2

そこで幕府の許可を得るために、当時、まだ正確な地図がなかった蝦夷地の地図を作るという名目で届け出ました。

許可を得ることはできましたが、幕府は伊能忠敬の50歳という年齢から「地図の試し測量」許可書を出しました。

また一応、幕府のお墨付きですが、支援は経費の2割だけであとは伊能忠敬の実費。1日に40kmも歩いたそうです。


蝦夷地の測量を終え、目標だった江戸から蝦夷への距離も計算でき、伊能忠敬が叩き出した地球の大きさは現在の記録と比べても1000分の1の誤算しかないほど正確だったそうです。


しかし、それだけではありませんでした。伊能忠敬に全く期待していなかった幕府でしたが、伊能忠敬が作った地図の正確さに驚きます。

そして、東日本全体の地図の制作を依頼しました。
その後は立派な公共事業になり、幕府のバックアップのもと規模はどんどん大きくなり、西日本の測量をするときのお供はなんと1000人以上。当時の国大名のお供より多かったそうです。


さらに伊能忠敬は全国の有名人になり、全国の庄屋が彼がくるのを手ぐすねをひいて待っていて三角関数とかを教わったそうです。


そして74歳で亡くなるまで地図の制作を続け、日本地図を完成させました。
地図は正確過ぎるため、国家機密扱いになりましたが、医師シーボルトがその写しを国外に流出させてしまったため起きたのがシーボルト事件です。
また黒船のペリーも正確さに驚いたそうです。


伊能忠敬は日本地図制作は自分の天命だと言っていたそうです。

はじめは全く期待されず、支援もないところから始まった伊能忠敬の測量。でも忠実に続けていく中で、幕府をも動かすほどの事業になりました。



なんだか語りかけを受けました。

私は自分でやるわけではないですが、私も神さまから言われたことを忠実に全うできるようにもっと祈らなければと思いました。
最近いろいろいっぱいいっぱいですが、とにかく立ち続ける!あきらめない~!!