2015年7月14日火曜日

十字架













私は未来塾という制度で奇跡的に

大学にはいることができました。



友達といろんなサークルをまわり

私はなぜか全く経験のない

テコンドーと吹奏楽団に

入部しました。



しかも大学入学後、1ヶ月で

新しく品川の家に引っ越すことが

これも奇跡的に決まり

高校時代の全ての問題は

解決したかに見えました。



新しい授業

新しい学校

新しい仲間

全てがキラキラして希望に満ち

私は有頂天になっていました。



私はサークルとバイトに明け暮れました。

特に吹奏楽団は練習時間が長く

終電で帰ることもありました。




私の気持ちは神さまから

離れていました。



教会にいても時々

なんで私はここにいるんだろう

なぜ友だちと一緒にいないんだろう

と思いました。

礼拝に出ていても

なにか薄い膜があるようで

現実味がありませんでした。




そんな中、キラキラした大学生活は

だんだん失速していきました。

サークルもうまくいかず

友だちともギクシャクしだし

大学に行く私の足はだんだんと重くなってきました。

大学に入れれば全て

うまくいくと思っていた私の考えとは

逆の状況でした。




私は心を閉ざし

一人の世界に入るようになりました。

それは教会にいても同じでした。

礼拝に出ても最低限の奉仕をこなし

最低限しか人と話さず

ほとんど下を向いていました。




私にはどこにも居場所がありませんでした。

私がいるべきだと思った

大学もサークルも友だちも

思い描いていたものとは

違いました。

家にも居場所はありませんでした。




ただ日曜日だけは

神さまはどんな私でも

教会に来ることを拒否できないから

私がここにいても神さまは文句を言えないはずだ

と無理やりな考えで

ひたすら教会にいました。

朝から夜まで

ほとんど人と話さず

ただ教会にいました。




そんな私に変化が起こったのは

確か大学2年か3年のときだったと思います。



それは第一礼拝と第二礼拝の間の

短い休み時間のときのことでした。

いつもの席でいつものように

下を向いていた私に

突然、はっきりとイエスさまの

十字架がせまって来たのです。

そしてその時、私は不思議と

理解することができました。




十字架の赦し

イエスさまが十字架の上で

どれほど深い愛を示してくださったのか

神さまがどれだけ私を愛して

イエスさまを十字架にかけてくださったのか



今まで当たり前だと思っていたことが

私を愛して私のために

私の罪を赦すために

その他大勢ではなく、

私を愛してくださっているのだということを

はっきりと確信しました。



その時から私は変わりました。

神さまから離れていたことを

悔い改めました。

祈ってみてサークルは辞めることにしました。

私には神さまという最高の

居場所がありました。

聖書のことばが生き生きと

心に入ってきました。

帰ってくるべきところに

来れたのだと思いました。



あれから10年たちました。

ずっと教会で友だちが

与えられるように祈っていましたが

今では毎週

いろいろ相談したり神さまの話ができる

友だちが与えられました。

奉仕を一緒にしたり

祈りあったりする仲間もたくさん

与えられました。




大変なときもありましたが

あの時の体験が私を支えてくれました。



自分でも人でもない

神さまに期待することの

素晴らしさを感じます。

まだまだ弱いですが

そんな私の罪を赦すために

十字架で死んでくださった

イエスさまの愛が私を強くしてくれます。



自分で何でもできると思ったことは

私の間違いでした。

神さまを離れては

何もすることができませんでした。

私は弱いですが

神さまと共にあれば

どんなことでもできると

確信しています。




神さまから離れていたのに

深いあわれみで

私に十字架の愛を

教えてくださった神さまに

心から感謝します。




Yui